janvier 2010アーカイブ

広尾生活はじめました

ひとりで自宅作業だと捗らない、という基本的なことがようやくわかった今日このごろ。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

  • http://twitter.com/yukop/status/7897931240自分以外の誰かがいる作業場のよいところ。よっしゃ仕事するぜ!って気になる。眠くてもベッドで寝ない。おやつを食べすぎない。ちょっとした話ができる相手がいる。おもしろい何かを見つけられる。一緒にご飯食べられる。12:54 AM Jan 18th (http://twitter.com/yukop/status/7897931240)
  • http://twitter.com/yukop/status/7897935485一緒にいるメンバーの相性にすごく左右されると思うけど、私にはずっとアローンはつらいし、私の自己管理能力は全くあてにならないこともよおーくわかった。自宅+アローン+フリーランスの組み合わせ以外の道を考えよう。12:54 AM Jan 18th (http://twitter.com/yukop/status/1971003069)

なんてことを先週Twitterにも書いたのですが人に会うたびそんな話をしてたら、友人たち(正確には夫の元同僚)が昨年12月に立ち上げた会社の事務所にしばらくの間、居候させてもらうことになりました。わあいわあい。

社名の由来は、「I(インターネットで) N(日本を) G(元気にする) O(俺たち!)」だそうです!ってここに書いちゃっていいのかな。書いちゃったけど。そんな、やんちゃなうさぎ年夏生まれのチャーミングな男性たちが働いています。

珈琲を淹れたり、音楽をかけたり、夕方になるとベランダで写真を撮ったり、こんなに快適でいいのかしら? 人生終わるんじゃないかしら? ってくらい快適に過ごしております。自分以外の誰かがいる仕事場のよいところを満喫中。もちろん仕事も捗ります。ほんとうにありがとうございます!!関係者のみなさまと巡り合わせに感謝!!とりあえず、いま携わっているプロジェクトが終わるまで、ということでその後のことはまた追々考えます。

そんなわけで、会社周辺の広尾、白金お食事マップなどつくってみました。何かおすすめあったら追加しちゃってくださいませ。


View 広尾、白金お食事マップ in a larger map

ちなみに、元戦友たちの働いている602麻布十番お食事マップのまねっこです。いえーい。

極私的東京案内2010

本当に好きなものってあんまり人には言いたくないなーって気持ちが以前は強かったと思う。大切であるがゆえにひとりじめしたい気持ち。でもね、最近すごく思うのは、自分の持ってるものを出せば、それよりたくさんのものが返ってくる(こともある。返ってこないこともきっとある)。よね?

そんなわけで、Twitterで聞かれたので答えようと思って下書きしてたら140文字じゃあとてもじゃないけど無理だったのでこっちに書くよ。何度も行ってる、東京で好きなお店。本当はよく考えたらもっとあるけど書ききれないから思いついたのの一部だけね。

幡ヶ谷

Dubois(デュボワ)
フランス家庭料理。yukop勤務先。料理もワインもベルギービールもコーヒーもデザートも全部おいしい、外観も内装もすてき、愛すべきさとみさんとシェフの居心地よくてあったかい、いろんな人が集まるお店。4年くらいお客さんとして、1年半くらいスタッフとして、長いつきあいですが私の中では相変わらずのナンバーワン。
コーヒーハウス ぽえむ
甲州街道北側の、駅と六号通り商店街の間くらいの路地にある喫茶店。店員さんがみんな穏やかでいいひと。珈琲は100種類あります。となりの文華堂で漫画借りてきて読むのもいいし、店内にあるFIGARO JaponとかELLE DECO読むのもいいし、勉強するのもいいし、とにかく憩いの空間。
JAM HOUSE
白神こだま酵母を使ったパン屋さん。おじいちゃんおばあちゃんちへ行ったかのような温かい空間。大きな包容力を持つサービスは年の功としかいいようがない。リスペクト!

新宿

Brooklyn Parlor(ブルックリン・パーラー)
ユイットなきあとの新宿カフェ砂漠のオアシス。2009年秋にオープンしたBlue Note運営の「人生における無駄で優雅なもの、ぜんぶ」なカフェ。本棚のすばらしいセレクトはBACHの幅允孝氏。
CRESSONNIERE(クレッソニエール)
機内食みたいなワンプレートランチが16時までしかも千円きっかりで食べられるビストロ。
伊勢丹新宿店(地下食料品売り場→屋上)
1階正面玄関入ったグランマガザン通りをモデル歩きで闊歩するのたのしいよ。屋上にはちょっとした庭園があるので、地下にある夢のような食料品売り場で何か買って屋上で食べるのも好い。前は芝生に入ってごろごろできたのにいまはできなくなってしまったみたい。残念。
ジュンク堂
語学学習のための本がものすごく充実してる。フランス語の勉強の本買うときはここで。棚のそばに椅子がいくつもあるので、気になる本を何冊か手に取って、座ってぱらぱら見比べることもできる。
カフェハイチ新宿本店
ドライカレーとハイチコーヒー。ここのコーヒーを飲んではじめて、コーヒーはブラックがおいしいのだ!と目覚めたほど、本当においしい。

表参道

大坊珈琲店
コーヒーを自宅でドリップで淹れてる人は一度は行くといいよ。席はカウンターで。釘付けになると思う。音楽のセレクトもとても趣味がよい。

吉祥寺

dans dix ans(ダンディゾン)
かっこいい建物の地下にある近未来パン屋さん。フレンチのシェフ淺野正己氏プロデュース。工場っぽい無機質なかんじの内装で一見とっつきにくそうだけど、パンおいしいよ。あんぱん3種類買って、すぐ外の小さな公園で食べるのがいいよ。
ゆりあぺむぺる
ものしずかな男性の店員さんのみってところがちょっとユイット(いまはなきTOPS HOUSEの8階にあった新宿のオアシス)に似てる。静かで時の流れがゆっくりなところが好き。
カレー食堂 リトル・スパイス
せまーい階段をのぼったところにあるせまーいカレー屋さん。中央線的雰囲気100%。チキンクリームカレーおいしい、ラッシーおいしい。

本でみる東京案内

『ぼくの伯父さんの東京案内』を読むと、気分がぱっとしないなーってときでも、ああ、まだわたしの知らないたのしいことがたくさんある! っていうたのしい気持ちになれる魔法のような本。きっとバスに乗りたくなるし、雨も悪くないなって思えるし、水筒とカメラを持ってひとりで出かけたくなる。これ見て行った場所もたぶんけっこうあるなー。

『ぼくの伯父さんの東京案内』カメラとペン 沼田元氣
  • まえがきにかえて・コートのポケットから眺めた景色(こと)
  • ぼくの伯父さんの好きなこと、又(あるい)は空想旅行
  • ぼくの伯父さんの長屋
  • ぼくの伯父さんのバス散歩
  • ぼくの伯父さんの、老人は未来の伴侶
  • ぼくの伯父さんの趣味(パラダイス)、又(もしく)は空想旅行
  • ぼくの伯父さんの遊園地
  • ぼくの伯父さんの大衆食堂、又(また)は長い長いお医者さんのハナシ
  • ぼくの伯父さんの並木道
  • ぼくの伯父さんの自転車
  • ぼくの伯父さんの陽の当たる坂道
  • ぼくの伯父さんの東京の友人
  • ぼくの伯父さんの商店散歩
  • ぼくの伯父さんの東京の宿
  • ぼくの伯父さんの悩み
  • ぼくの伯父さんの古本の魅力
  • ぼくの伯父さんの大人になる街
  • ぼくの伯父さんの喫茶店
  • ぼくの伯父さんの水族館
  • ぼくの伯父さんの東京旅行
  • ぼくの伯父さんの引越し
  • ぼくの伯父さんの展覧会(オブゼショップ)
  • あとがきにかえて・作者は最後の登場人物

次へ進むために振り返る その3

その1その2の続き。2009年に考えたことを思いつくままにメモ。

仕事について。

私にとって、人との関わり、顔を合わせて話し合ったりすること、は無くてはならないとても重要なことだった。外注として、自宅で作業して、やりとりはメッセとメールで、必要なときだけ打ち合わせに参加して、っていうのだと、一緒に何かを作り上げる感じが薄くて達成感どころか関わったかんじもすごく薄い。同じ場にいて、同じ空気を感じたいみたい。

ひとりでやってると、どんどん取り残されていくような感じがして、自信がなくなる。

いちばん好きなことを生業とするのがいちばんいい。そうは思うんだけど、お金とのバランスも大切。食べていけるだけのお金が稼げなかったらやっぱり厳しいし、かといってお金に困らなければ自分で稼がなくてもよいのかというと、そうじゃない。たぶんそれだと引け目を感じてしまう。稼いだお金で心置きなく映画みたり本買ったりコーヒー飲んだり美術館に行ったり旅に出たりしたい。

いまはフル稼働してなくて、力を持て余してるようなかんじもする。手を抜いてる、さぼってる、逃げてる...? でも前みたいに稼働してもつかといったらどっちかといえば自信ない。働いてる人たち...通勤してたり、ランチにくるOLさんやIT業界っぽい人たちの話の断片、Twitterで垣間見える頑張ってる様子、を見てるとみんな偉く見える。会社が恋しいような気もする。でもそれも違うのだろう。

このお店で働いて、良かったことはたくさんあるけど、いちばん大きいのは、人に会えること。会える人の年齢や職業や喋る言葉やいろんな幅が前より広くなった。常連さんもそうだし、あとは、会いたい人に気軽に「来てね」って言えるしお店だから気軽に来てくれるのもうれしいこと。
もちろん、お皿を持っていった時の、「うわぁ!」って言ってパァァって輝く顔とか、満足そうにおいしかったって言ってくれる時の顔とか、大好きだし、近所の常連さんと道で会って一言二言挨拶するようになったのもうれしいし、おいしいものの情報とかフランス語とか、いっぱいある。

個人でお店を経営するということ。見えなかった大変さの部分がすごく見えてきた。勤務時間の長さや睡眠時間の短さや税務署関連の事務仕事や年金や退職金で会社勤めよりずっと不遇な件。Sトミさんは、よっぽどの覚悟がないとできないよ、でも雇われて働くのはもうしたくないし、それでもこの仕事が好きだからやってられる、って言ってた。わたしは...どうなんだろう。

広報担当的にTwitter導入させてもらったり、というわくわくすることもできたし、Twitterで触発されてこれやってみたいな!ってことがでてくるたびに話して、できるなら別にやってもいいよ、みたいに言ってくれててすごく感謝しているのです。でもあるときのやり取りで、ああ、なんかわたしひとりで勝手に盛り上がって結局のところ邪魔してたうえにそれを指摘しにくい状況を作ってるただの扱いにくい人だったっぽい(それも結構長い間、わたしだけが気づいてなかった)...! って、サーって血の気が引いた。大好きなお店なので邪魔はしたくない。協力したいって心から思ってる。だいじょうぶ、わかってるよ、って言ってくれたけど。わたしはただ、繰り返し来てくれるお客さんを増やすには、どんな切り口でもまずはたくさんの人に知ってもらうのが重要なんじゃないかって思っただけなんだ...。

生活について。

こんな生活をしたい。っていう幻想が大きすぎて自分の首を締めてたのかもしれない。身の丈に合った地に足の着いた、ていねいな暮らし。それは朝ごはんを作って一緒に食べるとか、できるだけ毎日掃除をするとか、バランスの良いごはんを日々工夫して作るとか、使う道具も厳選してお気に入りのものを選ぶとか。いままで仕事すなわち人生だったからできなかった分、憧れが強すぎたのかも。それで現実とのギャップに勝手に苦しんでたんだきっと。

妻だからこうしなきゃ、という既成概念に、自分は思ってる以上に囚われているんだなと感じた。誰かと共同生活するのは実家以来のことなので気を遣いすぎて相手の顔色を伺うようになって些細なことを気に病んだり。役割分担についてきちんと話しあっておくべきだったし、お互いの状況が変わるたびにそこは確認すべきなのかもな。親からみると、奥さんなんだからこれとこれはしてあげて当然でしょ、ってみえるみたいだけど、いや、別に夫婦によってそれぞれだしと思いつつもやっぱり、自分がだめなんだろうかと思っちゃったり。

んー。とっちらかってるけど2009年はこんなかんじでした。さて、それを踏まえて次は2010年。

インターネットがいまほど普及してなかった90年代後半、趣味の友達やバンドのメンバー見つけるのに雑誌の投稿欄とか楽器屋やスタジオに張り紙とかライブとかクラブでよく会う人と友達になって文通したりとかしてた。98年くらいからは個人サイトの掲示板とかでわいわいやったりして、そこから実際に会って遊んだり文通したりもあったし、それがはじまりでいまでは大切な友達になった人もいる。

2004年くらいからorkutとかmixiとかでコミュニティから簡単に趣味の近い人が見つかるようになって、それで却って踏み込んだ交流はできなくなっちゃった気がする。

でもTwitterだと、さらっと交流でもOKだしそこから一歩踏み込んで交流することもできて、それがすごくいいね。入れ物とか肩書きとかなくてフラットだから、多くの人はたぶん素に近い状態だし、その人がどこの誰で何歳なのかとかよりも、どんなこと言ってるのか、でつながっていける。こういう場がなかったら言葉を交わすこともなかっただろう人とも会話ができる。

ってことをさっきお風呂で考えてたんだけど140文字に収まらなかったのでここに書いておくよ。なむなむ。

leçon0107

ひさしぶりの木曜初級2クラス(75分+ポワント15分)。

  • jeté, sauté, changemment, entrechat quatre, briséはもっと高く飛んで。
  • glissade, assambléはもっと遠くに。
  • balancéで前に進むpas、右はできるけど左も右とおなじになっちゃう...利き足じゃない方の弱さなんとかしたい。
  • ポワントでéchappé、ずっと真ん中じゃなくて顔つけて。port de brasしながらpas de bourréeで進むときとかも、音を使って腕をen basから、en avantをちゃんと通ってen hautへ。

やっぱりこのクラスがいちばん充実感あるなー。今年は毎週がんばって通うよ。帰り際、Rみちゃんのブーツのジッパーが壊れたけど、みんなで知恵をあわせて、リノリウム固定用テープで応急処置をした。すごいホールド感!って言ってたw

その1の続き。

2008年6月に、退職することになったところから。
その3ヶ月前の、2008年3月に入籍してふたり暮らしをはじめていて、それもあって退職に踏み切れたと思う。ひとり暮らしだったらこのタイミングでは辞めてなかったと思う。そんなわけで、フランス家庭料理のカフェでアルバイトとして働きつつ、残りの時間を使ってウェブの仕事、っていう生活をはじめてみる。

カフェの仕事に慣れるまでは、ランチの時間帯終わって家に帰ったら夜まで爆睡してしまう日々だった。それまでずっとデスクワークだったからね。それに加えて、秋くらいまでは、習い事のバレエの大きな公演があって毎週末お稽古してたり、結婚式に向けての準備いろいろがあったりで、考え事する暇なんかないくらいの密度だったので、いつのまにやら薬も飲み忘れてたけどなんとなく大丈夫だったし、1度病院行くの忘れてそのままにしちゃったら、なんかそのあと行かなくなってしまった。そんなかんじで二足の草鞋生活を続けてた。2008年は大きな出来事が多かったな。

次の変化は、2009年6月ごろ。
ベトナム・カンボジア旅行(新婚旅行)から帰ってきてすぐ。絶望感と無力感に分厚くすっぽり包まれて孤立した。よくわからないけど毎日涙が出た。眠れない。湿疹。動悸。いなくなりたい。早く人生終わって欲しい。1週間くらいして、病院に電話で予約入れた。

その原因となるものについて考えてみたけど、もちろんいろいろ積み重なって絡み合っているわけで、ふたりで生活していくということ、妻とか嫁という未知の立場、社会との関わり方の変化、それらから出てくるこまごまとした沢山のもの。これら、みんなはきっと、孤独に乗り越えているんだと思うけど。わたしが弱くて甘いだけなんだろうなって心の片隅でずっと思いつつ、どうにもならなくて通院再開。殻に閉じこもって日々をやり過ごす。

そのころ、何人かの元戦友たちとのメッセでの会話。「鬱って診断されて、仕事減らしてもらってるんだけど...」「イヤイヤイヤイヤ!一刻も早く休んで!!」って強くすすめたり、またあるときは、「しっくりこないんだね?」「お金と、達成感と、生活リズムのバランスが難しくて。うまくはまらなくて、余った破片があったり、大きい穴があいちゃってるような、そんなかんじ。」なんて話をしたり。

はぁはぁ。けっこうエネルギーいるな。今日はここまで。続くけどたぶん次でおしまいになると思う。

2010年。去年は停滞していたので今年は次への一歩を踏み出さないと、というわけでそのために一旦さかのぼって整理しておく。

2007年5月。
心の調子がどうしてもおかしくなってEAPに相談したら、カウンセラーの人に力強く病院を紹介された。「自律神経失調症」って診断書を出されて休職し、通院することに。

仕事は好きだったし、有能な仲間たちを心から誇りに思っていたしそんな仲間に恵まれて本当に幸せだと思っていたし、自分たちは良いものを作っているという自負もあったし、力をあわせてなしとげたときの達成感は何にも代え難いものだったし、常により一層の高みを目指して充実した日々だった。って思ってた。でも、困難にぶつかったときに、同じチームの中で補いあって助けあって乗り越えていきたいところで、仲間同志で攻撃しあったり足を引っ張り合ったり、みたいになることももちろんあって、どちらかというと殺伐とした空気が漂ってることの方が多かった気がする。

すごく規模が大きな仕事をして感じたのは、なんだか手の届く範囲を超えすぎていて、人の役にたっている感じはないし、直接クライアントと接する機会も少ないから、余計にそうで。喋ってる言葉が、自分の言葉じゃなくて借り物みたいな気持ちにもなった。全部受売り。

必死にもがいてなんとかギリギリのところで追いついてもそれは当然のことで、常にそれ以上のものを求められる、というのが公私ともに続いたら、あるとき、ふっ、と駄目になった。たいしたことじゃないのに涙が止まらなくなって、あーこれはもう、ちょっと駄目だなぁ、って思った。これがEAPへのきっかけ。

休んでいる間は、会社の人とはきっぱり連絡をとらないようにして、ブログやその他ネットでの活動も停止して、EAP隔週1回、病院週1回、というかんじで、あとは実家で療養して針仕事に精を出したり、自然のあるところへ行ったり。人がいっぱいいるところは恐ろしくて外出時は帽子で視界を狭くしてた。ちなみにこの間の日記や写真は、その後のMacBook HDD逝去により跡形もなくなったのでいろいろ思い出せない(DropboxやEvernoteを導入したのはそれよりさらにあと)。

2007年9月。
だいぶ回復してきて、自分でもカウンセラーの人も病院の先生も、そろそろだね、ってなってきたので、復職。勤務時間的には、最初の1週間は6時間勤務、次の1週間は7時間、次の1週間は8時間、というように徐々に増やしていき、業務内容は、自分が仕切らなくてもいいような、誰かの下について決められたタスクを淡々と行うのとか、毎月の決まった運用作業とか、そういうの。

さて、復職後の仕事なんだけど、負担を減らしてもらって助かったし、おかげで社会復帰できたけど、わたしここで何やってるんだろう...? っていう気持ちがずっとあった。この会社にいて、他のみんなは身を削ってがんばってるのに、わたしはこんなのらりくらりと、何の役に立ってるんだか分からなくて、達成感もなくて、惰性でここにいるみたいなの、何なんだろう、って。

いつも四半期とか半年ごとの目標設定のたびに、この先わたしはどうしていきたいんだろう、って考えるんだけど、会社の求めているものと、自分の興味のあることが、ぜんぜんうまく合わさらなくて、困ってた。わたしはもう、殺伐とした空気を生み出す方には居たくない。それより、人をほっとさせるような、和ませるようなことをしていたい。

2008年6月。
そんなことを考えていたときに、近所の馴染みの憩いのカフェで、オーナー夫妻に「わたしここで働きたいんですよー」ってぽろっと言ってみたところ、即座に「おいでよ!」って言ってくれて、わーっ、扉が開いた! 飛び込むならいましかない! って思ったのです。そのお店は、もう4年くらい通い続けてる大好きなお店だったし、夏バテで食欲ない時も、仕事で心がカサカサになったときも、いつでもおいしかったし、まるで寮の食堂みたいに親しく迎えてくれて、ほっとできる場所だったから。それにいつか自分のお店を持ってみたいなーっていう漠然とした夢みたいなものもあったから、こんなチャンスはもう2度とこないだろうと思ったのです。

はぁはぁ、力尽きた。今日はここまで。続きます。

leçon0103

バリエーションクラスでジゼルの村娘。

やっぱり踊り楽しい! でも、「だいたいできてるけど形が見えないよ!」。写真撮る瞬間がないの。拍と振りがどう対応してるのかちゃんと把握して、バチッ! バチッ! って決めてかないとね。

前へどうぞ〜、と後ろにスカートヒラッのときは顔の角度全然違うよ。sissonneのとき手はいちど真ん中に集めてから開く。あと舞台の上での進行方向。次の準備のためにどっちに走るのか、重要。

それにしてもみんな振り覚えるの早くて尊敬する。たった1分くらいの踊りだけど、10分か15分で振りうつし全部終わって踊ってた。わたし、始めて2〜3年くらいのときにこのペースだったらぜったい落ちこぼれてたと思うよ。